頭上のゆりかもめ
僕の職場は東京のいわゆるベイエリアにある、花屋さんだ。
花屋というと、子供の憧れる職業でも割と上位に来る、羨ましがられる職業だが、結局やっていることは農業の延長線上なので、皆が思うより仕事はずっとキツい。水の入ったバケツは見た目よりもずっと重く、これを洗うのは実に憂鬱な作業である。枯れ葉や折れた花があればすぐクレームになる。豊洲のキッザニアには日比谷花壇があるらしいから、そのへんの現実も子供たちに理解させているのか?なんて穿った見方をしてしまう。
それでも、やはり喜ばれることは多いし、元々植物は好きだったから、いわゆる天職の類なのかもしれない。
ちなみに「世界に一つだけの花」という歌、あれが僕は大嫌いである。
なぜか。
まず、花屋の店先に並ぶ花というのはその辺の雑草ではない。種苗メーカーや育種家による鬼のような品種改良と選抜を経て、農家で手厚く育てられ、市場で競りを勝ち抜いた、いわば植物界のスーパーエリートである。
更に、ナマ物なので売れなければ即廃棄の運命が待っている。大体どの花屋でも三割くらいは廃棄になるらしい。
残酷だが、ナンバーワンにならなくてもいいどころか、ある意味人間社会よりもずっと厳しい世界なのである。
♫元々特別な、オンリーワ〜ン、なんて、甘っちょろい場所ではないのだ。
…なんてことを思いながら、バックヤードの外で、残念ながら戦いに破れてしまったオンリーワン達に心の中で詫びながら、彼らをゴミ箱へ詰めていく。
その頭上を飛ぶように、ゆりかもめの未来的な車両が悠々と駆けていく。
乗客はこれからお台場や豊洲へ向かう行楽客か、あるいはベイエリアに住む富裕層か。高架線の上をゆく乗客たちには、地面に這いつくばるようにして日々仕事に勤しむ我々のことなど見えもしない…と思う。ゆりかもめの、あの「ハレ」な空気はどうも苦手だ。
さて長くなってしまったが、そんなバックヤードには、このビルの店舗に向けて納品車がひっきりなしにやってくるのだが、その中に、軽バンでやってくる軽貨物のオジサンがいる。
明るく人懐っこいオジサンは近くにいる人に話しかけては、楽しそうに話している。僕もこのオジサンに会うのがちょっと楽しみになっていた。
「兄ちゃんよぉ、この間すごかったぜ、こんなデッケぇスイカ!!」
ある日、やたらニヤニヤしながら話しかけてきたオジサンに、荷物ですか?と尋ねると、
「馬鹿野郎、荷物の話なんかするかよ、コレだよコレ!!ガハハ!!」
と、胸の前でグルグル円を書くオジさま。
本当しょーもないオッサンだなぁ…と、しょーもないオッサンの自分を棚に上げて思うのだった。
しかしそんなオジサンの弱音を一度だけ、聞いたことがある。かつて事業に失敗して家を売り払い、軽貨物で食いつないでいると。
軽バンのナンバーは埼玉の町工場の集積地で知られるエリアだった。金属の焼ける匂いのする路地裏へ一人軽バンで物静かに帰っていくオジサンを勝手に想像してしまって、少し寂しい気持ちになってしまった。
それからしばらく経ったある日、オジサンの軽バンに、真面目そうな好青年といった風情の青年が一緒に乗ってきた。
仕事仲間かな?と思っていたら、こちらへと歩いてきた青年氏が一言、「いつも父がお世話になっております。」と。
それを見て「ガハハ、そいつは花屋だから関係ねえよ!」と笑う、オジサン。その笑顔は、優しい父親のそれだった。
なんだ、オジサン、あなたは立派な優しいお父さんだったんじゃないか。併設されているスーパーで二人買い物をしている姿には、穏やかな時が流れていた。
頭上を走るゆりかもめの乗客には、想像もつかないであろう足元のドラマ。その豊かな時間を、少なくとも僕だけは忘れないようにしようと心に誓った。