撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ

最近歳のせいか、父親が昔に比べて気が短くなった気がする。

そりゃ人間生きていれば腹の立つことくらいあるし、誰だって聖人君子ではないのだから、怒って当たり前だ。僕だって激怒することもある。しかし、どうもその閾値が低くなってきたなぁと思うのだ。

 

例えば、電車でスーツケースの人がぶつかったとする。そうするともう反射的に「こら!いてえな!」と声が出てしまう。そして本人は言うだけ言って実はそんなに継続して怒ってもおらず、あっけらかんとしているのだが、周りはたまったものではないと思う。母はいつか大事になるのではないかと常々心配しているらしい。

 

そんな父に対して、僕が思っているのが上の言葉である。「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくる名言だそうだが、僕は原作を見ていない。が、これが真理だと思うのである。

いいじゃないか。好きなだけ怒れば良い。好きなだけキレれば良い。その代わり、いつ撃ち返されても良いという覚悟をすべきなのだ。例えいざその身に危機が迫っても、それは本望だと受け入れれば良いと思っている。その覚悟ができているなら何も問題ないし、覚悟がないなら黙っているべきだと思うのだ。

 

蓋し男性、とくにオジサン達は、本当に日々くだらないことでよく揉めている。やれ肩が当たったのなんの、これはもうオスとしての闘争本能、縄張り争いで仕方がないのだと思う。一度地元の駅で酔っ払い同士の些細な喧嘩が発展し、殴られた側が運悪く脳挫傷で亡くなってしまい、そのまま傷害致死で逮捕されたオジサンがいた。

 

本当になんてことないただのオジサンで、昨日までは平凡なサラリーマンだっただろうに、傷害致死なら実刑は免れず、長い長い刑務所暮らしが待っているのである。本当に馬鹿だなと思う反面、多分、彼はオスとしては正しかったのかもしれないとも思う。オスとしての誇りを、平凡な人生、その全てを賭して守り抜いたのだ。当たり前ながら人としては完全に間違っているが。

 

更には以前大阪で、煽り運転の車に衝突されたバイクの男性が亡くなるという痛ましい事件があったが、このバイクの男性が煽られる前にこの車に蹴りを入れていた、という情報がある。これは裁判でも語られたそうなので、恐らく裏が取れているのだろう。

何のトラブルがあったのかは知らないし、勿論煽った側が悪いに決まっているのだが、このバイクの男性も無用な蹴りなど入れなければ、きっと今日も元気に自慢のバイクに跨って走っていたことだろうと思う。何かしらカチンとくることがあり、やはり自らのオスとしての誇りを守るためには、自らの威力を見せつけるしかないという、いわば動物の威嚇と同じ行動原理だったのだろうが、その結果としてもたらされたのは残念ながら凄惨な死に様である。

なにせ、延髄が折れていて即死だったそうだ。煽られて車に衝突され、延髄が折れて天に召されるその一瞬前、彼は何を思ったのだろうか。勇敢にも人生すべてを賭した戦いに破れたのだ。無念だったろうか。牛にトドメを刺されてしまった闘牛士も、同じ気持ちだったのだろうか。

 

個人的意見だが、仮に誇りを守るためには死すら厭わない、もしその覚悟があるならば、僕は決闘を合法化しても良いと思っている。それはもう武士の誇りと同じではないか。

たとえそれがどんなにちっぽけで下らない誇りであっても、その結果が無惨なものであっても、僕はその男達のつまらないプライドに少しくらい応えてやってもいいんじゃないかと思う。そこに人生を賭す意味があるかどうかは別の話だが。

 

まぁでも。結局世の中の大多数にとっては、ただの迷惑な話なんだろうけどね。