洗足駅プチさんぽ

最近用事があってよく東急目黒線に乗る。

目黒線はもともと、現在の東急多摩川線と一体で「目蒲線」として運行していた。目黒と蒲田で目蒲線だ。地下鉄との直通運転をすることになり、目黒線となった区間は今まで3両編成の電車がトコトコ走っていたローカル線から、通勤電車の行き交う路線に変わり、いまや東急電鉄の幹線に成長したのである。

 

その目黒線への改良工事の過程でいくつかの駅は地下に潜り、ボケーッと電車に乗っているといくつかの地下駅を通過する。

そんな中の「洗足駅」、駅の前後が掘割になっていて少しだけ外が見えるのだが、この少しだけ見える、というのがとても気になる。

 

一体どんな駅で、どんな街なんだろう…。

いつか降りて見てみたいと思いつつ、面倒くさくなったり、あるいは時間がなくなってついついそのまますっ飛ばしてしまうのだが、先日いつもより少し早い電車に乗り、どんな感じなのかと、重い腰を上げて洗足駅で下車してみた。

青いタイルを中心に清冽な印象でまとめられたホーム。東急電車はいちいちオシャレだ。

駅を降りて周辺を少し歩いてみる。

目黒線になって都心へ直通するようになってから、沿線の不動産価値もかなり上がったのだろうと邪推する。もとより天下の東急ブランドに目黒区アドレス…やはり高級住宅街らしい雰囲気がなんとなく漂い、新しく清洒なマンションが目立つ。

 

 

そしてその合間には、古くからの建物も割と多く残っていて、こちらは「目蒲線」だった頃の街の名残をよく伝えている。

この昔懐かしい雰囲気の長屋の横にベンツが停めてある様子、目蒲線目黒線の時代が交差する、象徴的な風景だ。

 

 

その後も少し街中をぷらっと歩いてから、駅方面に戻る。どことなく洋館を思わせるレトロなマンション、都心で時折見るシリーズのマンションだろうか。イマドキの豪華なマンションとはベクトルが違うけど、悪くない雰囲気である。

ちょっと履き違えた感じのゴージャス、要所要所に垣間見える、なりきれていない団地っぽさ。いいなあ。

やっぱり目黒線よりは、目蒲線な雰囲気だ。

 

 

さて時間もなくなってきたので駅に戻ろう。洗足駅には冷凍ピザの自販機があって、ちょっと興味をそそられたが、さすがに用事を済ませてきてからでは溶けてしまう。これはこれから電車に乗る人というよりは、降りてきた人向けの商品になるだろう。案外本格的な出で立ちで美味しそうだ。

 

 

そんな訳でプチさんぽは終了。

駅の周りをダイジェストでお送りしただけで、とはいえこの街のことはまだ何も知らないのだが、それでも掘割の上にちょこんと見えていた街並みの雰囲気はよく感じられて、悪くない途中下車だった。

 

撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ

最近歳のせいか、父親が昔に比べて気が短くなった気がする。

そりゃ人間生きていれば腹の立つことくらいあるし、誰だって聖人君子ではないのだから、怒って当たり前だ。僕だって激怒することもある。しかし、どうもその閾値が低くなってきたなぁと思うのだ。

 

例えば、電車でスーツケースの人がぶつかったとする。そうするともう反射的に「こら!いてえな!」と声が出てしまう。そして本人は言うだけ言って実はそんなに継続して怒ってもおらず、あっけらかんとしているのだが、周りはたまったものではないと思う。母はいつか大事になるのではないかと常々心配しているらしい。

 

そんな父に対して、僕が思っているのが上の言葉である。「コードギアス 反逆のルルーシュ」に出てくる名言だそうだが、僕は原作を見ていない。が、これが真理だと思うのである。

いいじゃないか。好きなだけ怒れば良い。好きなだけキレれば良い。その代わり、いつ撃ち返されても良いという覚悟をすべきなのだ。例えいざその身に危機が迫っても、それは本望だと受け入れれば良いと思っている。その覚悟ができているなら何も問題ないし、覚悟がないなら黙っているべきだと思うのだ。

 

蓋し男性、とくにオジサン達は、本当に日々くだらないことでよく揉めている。やれ肩が当たったのなんの、これはもうオスとしての闘争本能、縄張り争いで仕方がないのだと思う。一度地元の駅で酔っ払い同士の些細な喧嘩が発展し、殴られた側が運悪く脳挫傷で亡くなってしまい、そのまま傷害致死で逮捕されたオジサンがいた。

 

本当になんてことないただのオジサンで、昨日までは平凡なサラリーマンだっただろうに、傷害致死なら実刑は免れず、長い長い刑務所暮らしが待っているのである。本当に馬鹿だなと思う反面、多分、彼はオスとしては正しかったのかもしれないとも思う。オスとしての誇りを、平凡な人生、その全てを賭して守り抜いたのだ。当たり前ながら人としては完全に間違っているが。

 

更には以前大阪で、煽り運転の車に衝突されたバイクの男性が亡くなるという痛ましい事件があったが、このバイクの男性が煽られる前にこの車に蹴りを入れていた、という情報がある。これは裁判でも語られたそうなので、恐らく裏が取れているのだろう。

何のトラブルがあったのかは知らないし、勿論煽った側が悪いに決まっているのだが、このバイクの男性も無用な蹴りなど入れなければ、きっと今日も元気に自慢のバイクに跨って走っていたことだろうと思う。何かしらカチンとくることがあり、やはり自らのオスとしての誇りを守るためには、自らの威力を見せつけるしかないという、いわば動物の威嚇と同じ行動原理だったのだろうが、その結果としてもたらされたのは残念ながら凄惨な死に様である。

なにせ、延髄が折れていて即死だったそうだ。煽られて車に衝突され、延髄が折れて天に召されるその一瞬前、彼は何を思ったのだろうか。勇敢にも人生すべてを賭した戦いに破れたのだ。無念だったろうか。牛にトドメを刺されてしまった闘牛士も、同じ気持ちだったのだろうか。

 

個人的意見だが、仮に誇りを守るためには死すら厭わない、もしその覚悟があるならば、僕は決闘を合法化しても良いと思っている。それはもう武士の誇りと同じではないか。

たとえそれがどんなにちっぽけで下らない誇りであっても、その結果が無惨なものであっても、僕はその男達のつまらないプライドに少しくらい応えてやってもいいんじゃないかと思う。そこに人生を賭す意味があるかどうかは別の話だが。

 

まぁでも。結局世の中の大多数にとっては、ただの迷惑な話なんだろうけどね。

Today is a good day to die

 

「Today is a good day to die」

アメリカ原住民の言葉だそうだ。昔聞いたところによると、アメリカ原住民の考え方では、亡くなるということは、この世での修行を終えてようやく幸せになれるということなのだそうだ。だから、お葬式はほとんどお祝いであると。

どことなく日本の死生観にも通ずるところがあるような気がする。

 

最近すっかり秋めいてきて、夕陽の美しい季節になった。秋の夕暮れは独特の色彩だと思う。夏の鮮烈な色とも、冬のどこか影がありながら鋭い色とも違う、澄み切った透明な色。

 

この間、天気のいい日に半ドンだったので、そのまま実家に寄って用事を済ませて、いい気分で電車に乗り込んだ。

地元の駅で降りる直前、ふと車内のディスプレイを見ると、中央線が人身事故で止まっている。幸いにも僕の使う路線には何も影響はなく、時間通りに到着している。

 

幸い、って言っていいのかなぁ。と思う。

人一人亡くなってんだもんな。

 

人身事故、の四字で誰かの人生を片付けていいのかなと思ったりする。中央線の利用客のXは今頃怨嗟で溢れているだろう。見たくもない気がした。

 

帰り道は秋の透明な夕暮れに染まっていて、なんてことのないいつもの景色も、少しだけ輝いて見えた。

さざめききらめく木々の葉の下、近くの幼稚園の子たちが元気に遊んでいて、買い物帰りのおばさんや、早上がりのサラリーマンが歩いていく。痛いほどいつもどおりの日常がそこにあったし、その日常は夕暮れのせいで悔しいほど美しかった。

耳をつんざく電車の警笛や、悲鳴のようなブレーキの音は、初めからこの世界に存在しないかのようだった。

 

他人事だけど、なにもこんな日に死ななくてもな、と思う。

こんな日だからだろうか。

 

「Today is a good day to die」

認めたいような、認めたくないような気がした。

傍観者という後悔

 

 

長すぎた夏も終わり、夕方の光線は秋の色になってきて、稲穂も伸び、虫の声も蝉時雨から秋の虫へと変わり…いつもこの季節になると思い出すのが、ばんえつ物語号でのことである。

 

新潟と福島を結ぶ磐越西線、その風光明媚な路線を走るSL列車がご存知「ばんえつ物語号」だが、僕はこの列車に苦い思い出がある。

 

遡ることウン十年、高校生だった僕は、趣味である鉄道旅行と音楽を目一杯満喫すべく、鉄道研究部と軽音楽部の2つを兼部していた。鉄道研究部にはF君という後輩がいて、軽音楽部にはN君という後輩がいた。

そしてある日、僕は学校から駅へと向かう路線バスの車内で、N君がF君をいじめている現場を目撃してしまったのである。確かにN君は典型的な問題児、というか高校生なのだからもはや児などというレベルではなく、問題行動や暴力行為で様々なトラブルを起こしていたのである。が、F君とこういう形で繋がっているとは知らなかったのである。

 

こういう場合、僕はどうすべきなのだろう。もちろん模範解答は、「こら君、弱い者いじめはやめたまえ」と仲裁に割って入ることだろう。しかし札付きの問題生徒であるN君が、いくらこちらが先輩とはいえ言葉でどうこう行動を変えるとは全く思えない。この手の人間に効くのはただ一つ、鉄拳制裁だが、体格的にも敵う相手ではない。

しかも実は、このN君とお付き合いしている女子生徒というのがいて、この女子生徒とは僕も友達ぐるみで仲良くしていた。もちろん、このお付き合いにも色々イザコザがあったのは言うまでもない。

また、僕の別の後輩とも色々とイザコザを起こし仲違いしており、その相談も受けている真っ最中。その辺りの人間関係の複雑さも、行動を迷わせる一因となった。

 

一体どうしたらいいのか?考えあぐねているうちにバスは駅に着いてしまい、僕は何もできないまま傍観者としてバスを降りることになってしまった。

 

色々な逡巡があったとはいえ、結果として僕はF君を助けることができなかった。これだけが紛れもない事実であり、僕はこのことを非常に後悔した。

 

それからしばらく経って、この鉄道研究部の仲間と旅行に行くことになり、その時に乗車したのが件の「ばんえつ物語号」である。ちょうど今くらいの季節、展望車の車窓に広がる米どころ会津の稲穂は今が盛りと黄金色に染まり、それを夕方の斜光線がより美しく染め上げていた。

その展望車で、僕はちょうどF君の隣の席になった。あの日のことがどうしてもお詫びがしたかった。何を言っても所詮保身と言い訳にしかならないことは高校生でも分かったが、何かを話さずにはいられなかったのである。そのF君の返事は意外なものだった。

 

「えっ、そんな、全然気にしていないから、大丈夫ですよ。いつものことだし、彼も色々と大変みたいだから、仕方ないです」

 

ああ、神様。

僕はこの瞬間、いま優しい笑顔を浮かべる彼のこれから先の人生の僥倖を、そしてN君がただ地獄のような不幸な人生を歩み何もかもが破壊されることを願うことしかできなかった。

所詮こんな傍観者にできることは、ただそれだけだし、自らの卑しく下らないその思考を思うと、恥ずかしい気持ちで一杯であった。

 

今になっても、僕は答えが出せずにいる。

子供に問われたらなんと答えるだろう。

無用のトラブルは避けよ、なのか。傍観も連帯責任なのか。いつも偉そうに講釈をたれているセンコーだって、街の喧嘩は見て見ぬふりじゃないか。そりゃそうだ。

 

ただ一つ分かっているのは、F君は今でも幸せに活躍しているらしいことだけであるが、それだけでもこの傍観者の心はいくらか安息した気がする。それはとても卑怯なことのような気がした。

所詮は無力な傍観者なのだ。いつか答えが出る時が来るだろうか?

私サボテンも枯らしちゃうの

花を育てる、という行為は心も穏やかになり、見た目にも美しく、さぞ癒やされると思われるが、実際にはきれいに咲かせようと思うとやはりかなり手がかかるもので、気候や害虫の影響があれば簡単に枯れてしまう。本気になればなるほど癒やされるどころかカリカリしてしまうものだが、これはどの趣味でも一緒かもしれない。

何事も程々が肝心である。

 

さて、一応花屋の端くれをしていると、よく「サボテンですら枯らした」というフレーズを聞くのだが…ショックを受けている皆さんのために一言言っておきたい。

サボテンは、難しいですよ!!

 

基本的に植物というのは、移動することができないから、原生地の環境に最適化されている。サボテンの原生地は大概が砂漠だから、容赦なく照りつける太陽と酷暑、遮るもののない風、極端な水不足、そして意外なのが夜の冷えである。

この植物を、お部屋に持ち込んで大事に水やりしているとすると、まず厳しい日照不足、淀んだ空気、冷えない夜、そして過剰な水と最悪なダメージを負うことになってしまう。枯れて当然なのだ。何も恥じることはない。

よく、風水系のショップで「悪い気を吸ったので枯れた」みたいなことを書いてたりするけども…正直、噴飯ものである。

 

逆にこの環境なら、ジャングルの下草のような植物のがまだ向いているわけで、実際観葉植物は、そのような植物を改良していったものが多い。なので気をつけないと冬の寒さで枯れる。そんなもんだ。

 

なので、世のサボテン愛好家たちは絶対にリビングやましてトイレでサボテンを育てたりしない。最低でも外、大体が簡易温室を作って日中はギラギラ太陽で酷暑に置き、夜は冷やす。鉢は根が温まるよう黒一択だ。であるから、先に挙げたような環境に置いた瀕死のサボテンの画像とともに、「枯れそうです!どうしたら?」なんて内容をYahoo!知恵袋にでも投稿しようものなら、人格否定のごとき集中砲火を浴びることになる。

 

ただ、花屋として思うのは、別にみんなサボテンのマニアじゃないし、ほとんどの人はインテリアの延長線上で購入するということである。いくらマニアが買い支えようが、まずは一般層に売れなければ全体として見て成り立たないわけで、これを責めるのは酷というものである。やはり室内でカワイイ鉢に入れて眺めたい、というのが大方の心理であろう。

 

となると、考えるべきはいかに室内で延命するか?という方法である。

愛好家たちのように立派な株を目指すとなるともう無理があるのだが、徳川家康よろしく生かさず殺さず、楽しむにはどうしたらいいのか?

まずは種類選びだが、窓際の光くらいでも耐えられる種類を選びたい。例えばギムノカリキウムなんかは、直射日光だとかえって日焼けしてしまうこともあるくらいだから、しっかり日の当たる窓辺なら好条件だ。価格も比較的安価で挑戦しやすい。とにかく1秒でも長く日に当たり、1ミリでも窓に近い方がいいだろう。種類を言われてもわからん!という向きもあるだろうから、緑の濃く棘が薄めの丸っこいものになるかなと。水やりは真夏と真冬は思い切って断水。春と秋にドバッと水やりがいいだろうが、気にせず常に月一でいい、という意見もある。いずれにせよ水は控えめにして徒長や腐敗を遅らせたいところだ。エアコンの風は避けつつ、時折窓を開けて風に当ててやる。これでだいぶ長持ちすると思うし、うまく育てられると思う。

成長の早いウチワサボテンや花サボテン等は、室内ではすぐ徒長してしまうので難しいかな…。

 

ちなみによくあるガチガチに固まったカラーサンドに植わっているサボテン、あれは遅かれ早かれ枯れてしまうので、花屋的にはオススメできないです。そもそも根が伸びる余地が1ミリもないんでね。

売れるし可愛いけど…なので観賞用と割り切るという形になるだろう。この辺りも愛好家からは、拷問や虐待の如し!!と鬼のようなお叱りを受けるのだが、商品として見ると、売れるのでね…。残念ながら売上には敵わないというのが正直なところである。長く育てたいなら、このカラーサンドを全部崩して根本を乾燥させ、専用土で植え直すことだが、これでは何のために買ったのかわからない気もする。

 

あと、てっぺんが赤く根本が緑の「緋牡丹」。非常に人気のサボテンだが、あれは必ずすぐ枯れます!必ずです。

理由は簡単で、接ぎ木の台木になっている(緑の部分)「三角柱」というサボテンが、ただでさえ寿命が短いのに、上の赤い「緋牡丹」に光合成の成果をチューチュー吸われている格好になっているので、腐ってすぐお亡くなりになるのである。なのでこれは切り花と同じ。割り切って枯れても凹まないことだし、継ぎ直しも難しいから諦めるのが吉である。

 

そう考えると、花屋というのはなんだか罪作りな商売な気がしてくるな…。

ちなみにサボテン、色々やりましたが個人的ベストは「雨の当たるベランダで放置」でした。本末転倒。

 

Vaporwaveとマクドナルド

さて、皆さんは少し前に流行った「Vaporwave」という音楽ジャンルをご存知だろうか?

流行ったと言っても、あくまでそれはネット上での話であり、例えばチャートを席巻したとか、有名どころのアーティストがこぞってこのジャンルを演奏したとか、そういう話ではない。ので、知らない人が世の中の大半であろうと思う。むしろそういった流行りとは無縁のところで、一種のインターネット・ミームのような感じでじんわり、陰湿に?楽しまれていた音楽のような気がする。

 

内容としては、80〜90年代くらいのいわゆるAORやシティポップといったトレンディ(古い)な曲たちを、めちゃくちゃに切り継ぎ、スローダウンし、加工しまくった音源に、これまたその年代らしいカクカクでザラザラな映像をコラージュして作り上げた、一種異様で気味の悪いものなのだが…これが謎の中毒性というか、不思議な郷愁のような感覚を持って訴えてくるのである。

まぁ百聞は一見に如かず、というか一聴に如かず、ということで、一番有名であろう曲が、コレ。

 

youtu.be

 

これだけ見ていただければ、大体どういうことか分かると思う。

ちなみにこの作品は、"If I Saw You Again" という、Pagesの1978年の曲が元ネタなのだが、その曲のイントロの部分だけをひたすら切り継いで作っているのだから、驚きである。

もともとは、大量消費社会へのアンチテーゼとして始まった音楽だそうだが、結局注目度が上がるにつれ、Futurefunk等の強烈なダンスビートをミックスしたポップで聴きやすい音楽へと変化していった。

そしてその頃からサブカル的な注目を集めて、メジャーどころでもそのエッセンスが使われるようになり、逆説的にVaporwaveは廃れ、滅んでしまったというのが最近での定説?である。

 

確かに身近なところだと「水曜日のダウンタウン」、あのオープニングは完全にVaporwaveの世界観を踏襲しているのが分かる。大量消費社会のアンチテーゼだったはずのVaporwaveそのものが、楽しまれ消費される側に流されてゆく運命になったのはなんとも皮肉なものだが、もとよりそんな高尚なものでもない。

 

で、僕はそんなVaporwaveが出てきた当初から結構気に入っていて、よく聴いていたのだが、今回はなにもそんな音楽論を展開しようというのではない。長くなってしまったが、ここからが本題だ。そして本題は大した話ではない…のだが、これなのである。

 

 

先程の「花の専門店」(それは花屋だろ、というツッコミはさておき)についていたコメントなのだが、これには膝を打って笑ってしまった。

ああ、わかる…わかるよ!その気持ち!

 

このコメントを残した方はアメリカの人だろうか?

あの巨大に引き延ばした散居村か、あるいは小さく押し込めた銀河系のように、農場や原野の間に幹線道路で結ばれた集落がぽつりぽつりと広がる中にある、アメリカ内陸部の名もなき街。2つ先辺りの集落に、地元民しか行かないようなマクドナルドがあって、ちょっと古めのアメ車で深夜、ハンバーガーでも食べにVaporwaveを聴きながら出かける。果てしなく空虚でジャンクだが、何故かnot badな夜がそこにある。あるいは、デトロイトのような荒んだ工業都市でもいい。煤けた空の下、やはり退廃的で空虚で、人工感溢れるVaporwaveはよく似合うはずだ。

 

そんなわけで、一度くらいはこの

「Vaporwaveを聴きながら夜中に車でマクドナルドに行く」

 

という行為をしたいとずっと思っていたのである。自分でもちょっと何を言っているのか分からないし若干引いているが、やってみたいものは仕方がない。

 

さて、ではどこのマクドナルドへ行ってみようか。色々調べて、最初に良さそうだと思ったのが、東大和市の「上北台」というところにあるマクドナルドだ。

 

 

地図で見てもらうと分かるが、このマクドナルドの北方には、多摩湖狭山湖という二つの貯水池がある。以前車で通ったことがあるのだが、真っ暗な湖沿いに極彩色のけばけばしいネオンが光るラブホテルとその廃墟が並ぶ、薄気味悪い峠道である。このある意味現実感のない峠道を抜けてマクドナルドに着くコースというのは、なんだかVaporwaveの世界観と合う…ような気がする。

しかし一応家族がいる身としては、夜中に突然親父が「マック行ってくらぁ!」と妻子を置いて出発し、近くでもないラブホ街にほど近い湖畔のマックへ一人ハンバーガーを食べに出かけていく…というのはどう見ても家族からすれば不審そのものであるし、やはりちょっと無理がある気もする。ならば工業都市の方はどうか。川崎の産業道路沿い辺りなら、雰囲気もバッチリだし、生活圏で夜、用事のついでに寄れなくもない距離ではある。調べてみると残念ながら産業道路に駐車場のあるマックはなかったが、少し内陸に入った小田栄にある模様。浜川崎の近く、工業地域らしい雰囲気もあるだろうか?とりあえずこのマクドナルドを目指すことに決めた。

 

 

決行当日(というほど大した話でもない。)、横浜は青葉区での用事を終え、いざマクドナルド川崎渡田店へ。

当初は車を出したらすぐにこの「花の専門店」ともう一曲「現代のコンピュー」(誤植ではない!)を聴こうと思っていたのだが、あの田園都市線沿線のハイソで落ち着いた雰囲気には、どうもVaporwaveは似合わない気がして、鶴見川を越えたあたりから再生を始める。

 

車なので、途中写真が撮れないのが残念だが、年季の入ったアパート・マンションや、工業地帯へ繋がっているであろう鉄塔、あるいは貨物列車の操車場や、走りゆく臨港バス、それにヤシの木の生えた外車の専門店。どれもどこか退廃的で「らしい」雰囲気を醸し出して、確かにnot badなドライブだ。

途中タクシーをパトカーが停めて、何やらトランクを調べているという怪しい場面にも遭遇し(汗)、それもある意味で「らしい」雰囲気と言えなくもない…気がする。(汗)

かつて川崎市電が走っていたのであろう市電通りに入り、Vaporwave一人コンサートも最高潮に達したところで、マクドナルドに到着…したのは良いのだが、

 

まさかの臨時休業。

電気はついてるのに…妙に静かだと思ったよ。

さぁどうしたものか。一応、「Vaporwaveを聴きながら夜中に車でマクドナルドに行く」という目的は達したものの、ここまできたらやはりジャンクフードを摂取して帰りたい。車で少し行ったところにもう一軒、マクドナルドがあるようなので早速車を走らせる。実は夕飯を食べずに来てしまったもので空腹もそろそろ最高潮である。

こんなにも心身ともにマクドナルドを欲したのは人生初だし、おそらくこの先もないだろう。当初のコンセプトも忘れかけ、辛うじて脳内でVaporwaveを流しつつ(!)、目をギラつかせながら「マクドナルド川崎富士見通り店」に入店。

 

 

スマホで写真加工。妖しく光る原色、ちょっとそれっぽい雰囲気にしてみた。

先程のマクドナルドが休業だったこともあってか、ドライブスルーは信じられないほどの大渋滞を起こしていたが、駐車場は空いていてなんとか停めることができた。

あとは店内で注文である。が、どうやら先のドライブスルー渋滞は先頭の車の大量注文によるもののようで、キッチンは大パニック。レジもまともに回らない有様で、少々お待ち下さい〜と言われてから、レジの人も次々に食べ物を捌いている。この混んでいる時のマクドナルドの、奥からカラフルな包み紙や箱に入ったジャンクフードが次々に放り投げられるように流れてくるキッチンの光景は、まさにジャンク…という感じで食欲も失せそうになるのだが、今日ばかりは雰囲気を盛り上げてくれる光景…な気がする。

 

というわけでお待ちかねのマクドナルドだ。

店内は幸いにも空いていてゆっくりできそうだが、店内奥ではヤンキーの二人組がなかなか乱雑な使い方で過ごしており、何やらヒップがホップな曲を流してたむろしているのである。普段なら顰蹙モノの光景だが、なんだか深夜のアメリカのマクドナルドっぽいかも…と、あのYouTubeのコメントに想いを寄せて一人で勝手に盛り上がっていた。

しかし疲れた空きっ腹に糖と油をいきなりぶち込んだので、なかなかに胃もたれしてしまったのが情けない…。でもこのもたれ感も、なんだかこの一連の流れにセットになっているような気がして、もうええわ、と心の中で突っ込みつつ、首都高で帰路を急ぐ。

 

BGMは…まぁもう、他のでいいかな。

 

モノレールで海を見る②

前回の続きです。

 

浜松町を出発して15分。モノレールは目的地の一つ、「整備場駅」に到着した。

 

 

モノレールの華奢な線路に、貼り付くようにして作られた鉄骨造の殺風景な駅ホーム。普通の鉄道の駅よりもだいぶ小ぢんまりとした印象だ。床のタイルもより無機質な感じを演出している。

そうそう、この感じ…と心の中で独り言ちて、ひとまず改札へ。

 

 

まるでどこぞのローカル線のような駅舎だが、羽田空港と都心を結ぶ大動脈の駅である。木造駅舎とは違う、やはりこの時代らしい無機質なコンクリ造の駅舎は独特の味がある。

とはいえ、空港快速は見向きもせずに、ヒュンヒュン、と、鉄道とは違うモノレール独特の音を奏でながら去っていってしまうのだが…。

駅の周りには、その名の通り飛行機の整備会社であるとか、自衛隊の施設であるとか、そういった施設が並んでおり、これまた殺風景なことこの上ない。もとより見るものがないことは分かっていたし、その雰囲気を望んでいたので満足である。

 

(しかし後から分かったことだが、かつてGHQに接収されるまで存在した「鈴木新田」という町の跡を示す記念碑があったようだ。これは見学すべきだった。)

 

続いて、第二の目的地昭和島駅へ。

こちらも整備場駅に負けず劣らず、いやそれ以上に殺風景な駅かもしれない。整備場駅はあくまで羽田空港の一端を担う場所に位置しているが、昭和島駅は完全に独立した文字通りの「島」に位置しており、時折秘境駅扱いされているほどである。もともと信号場として開設されたそうで、こんなところに駅が…というのが率直な印象だ。

 

整備場駅を今度は浜松町方面に向けて出発する。今度は海を見渡せるボックス席に座ることができた。ここぞとばかりに、飲み物を開封Apple Musicで好きな曲を再生。一瞬の旅情を目一杯楽しんだ。

 

 

さて、昭和島駅に到着したのだが、降りた瞬間、お世辞にも良い匂いとは言い難い強烈な臭気が鼻を突く。これは一体…と思ったがすぐその正体が分かった。駅の真横が下水処理場なのである。なるほど、これは唯一無二のロケーションで、秘境駅扱いされるのも分からないでもない。

ちなみにこの下水処理場は、「森ヶ崎水再生センター」といい、日本最大級を誇る施設だそうだ。ホームページによれば、品川・目黒・大田・世田谷区の大部分、渋谷・杉並区の一部の下水処理を行っているとの由、都民の大事な施設なのである。

森ヶ崎、はちょうどモノレールの対岸に位置する地名であり、昭和島へ直接アクセスするルートはない。かつては鉱泉からなる行楽地として名を馳せ、多くの文人に愛されたそうだ。スーパー銭湯でも出来れば面白いな、なんて思ったりするのだが…。

 

さて話がそれてしまったが昭和島駅である。

昭和島駅のホームと駅舎はやや離れたところにあり、駅舎まではご覧の通りの細長い通路と地下道で繋がれている。目に入るすべてが直線だけで構成されているせいか実際よりも少々長く見える。近所には鉄鋼団地等もあるので思ったより乗客はいる模様だが、それでもあまり人もいないので、少し前に流行った「Liminal Space」っぽさがある。

 

 

その先で駅舎に繋がる地下道も、ご覧の不気味さ…。駅というより、古い病院や研究所のような雰囲気があり少しドキドキするシチュエーションだ。

 

 

個人的にドキッというかゾクッときたのがこのドア。絶妙な小ささの窓と厳つい鍵、ちょっとホラー映画のような雰囲気。

そういえば昔、バイトの用事である研究所のような場所に出入りしていたことがあるのだが、そこではやはりこのようなドアに、害虫防止の黄色いガラスが嵌っており、真っ暗な廊下にドアから黄色い光が漏れて得も言われぬ独特な雰囲気を醸し出していたのを思い出す。個人的には嫌いではなく、やはりちょっとドキドキ、ゾクッという不気味さで、むしろ好きだったかなと。なので、この昭和島駅の様子も個人的にはなかなかグッと来るものがある。いずれにしても都内の駅とは思えないビジュアルである。

 

さて、通過する空港快速を見送って、昭和島駅を後にする。再びビルや運河の合間を縫って、浜松町へ向けてモノレールは快走してゆく。大海原という訳では無いが、やはり水辺の景色というのは良いものだ。ほんの束の間の「現実逃避」としては、なかなか良い時間だった。

そして、何度も目の前を通過してゆく空港快速…。あれはあれで爽快そうだな、と気になってしまう。次は食わず嫌いせずに空港快速に乗ってみようか?宿題が増えてしまった。