Today is a good day to die

 

「Today is a good day to die」

アメリカ原住民の言葉だそうだ。昔聞いたところによると、アメリカ原住民の考え方では、亡くなるということは、この世での修行を終えてようやく幸せになれるということなのだそうだ。だから、お葬式はほとんどお祝いであると。

どことなく日本の死生観にも通ずるところがあるような気がする。

 

最近すっかり秋めいてきて、夕陽の美しい季節になった。秋の夕暮れは独特の色彩だと思う。夏の鮮烈な色とも、冬のどこか影がありながら鋭い色とも違う、澄み切った透明な色。

 

この間、天気のいい日に半ドンだったので、そのまま実家に寄って用事を済ませて、いい気分で電車に乗り込んだ。

地元の駅で降りる直前、ふと車内のディスプレイを見ると、中央線が人身事故で止まっている。幸いにも僕の使う路線には何も影響はなく、時間通りに到着している。

 

幸い、って言っていいのかなぁ。と思う。

人一人亡くなってんだもんな。

 

人身事故、の四字で誰かの人生を片付けていいのかなと思ったりする。中央線の利用客のXは今頃怨嗟で溢れているだろう。見たくもない気がした。

 

帰り道は秋の透明な夕暮れに染まっていて、なんてことのないいつもの景色も、少しだけ輝いて見えた。

さざめききらめく木々の葉の下、近くの幼稚園の子たちが元気に遊んでいて、買い物帰りのおばさんや、早上がりのサラリーマンが歩いていく。痛いほどいつもどおりの日常がそこにあったし、その日常は夕暮れのせいで悔しいほど美しかった。

耳をつんざく電車の警笛や、悲鳴のようなブレーキの音は、初めからこの世界に存在しないかのようだった。

 

他人事だけど、なにもこんな日に死ななくてもな、と思う。

こんな日だからだろうか。

 

「Today is a good day to die」

認めたいような、認めたくないような気がした。