モノレールで海を見る

仕事も家庭もなんだか上手く行かない、そんな半ドンのある日。

折角の半ドンなのに、全く気持ちも盛り上がらず、このまままっすぐ帰宅する気にもなれない。ふと気がつけば、浜松町のモノレールの駅に立っていた。

そういえば東京モノレールなんて、何年も乗ってないな…海、というか運河だが、そんな景色でも眺めれば少しは気が晴れるだろうか。

 

 

改札で出迎えてくれたのは、東京モノレールのキャラクター「モノルン」である。

なにが幸せの青い鳥やねん、とちょっとササクレつつ、僕にも良いことがあるかしら…などと柄にもなく考えながらも、高度経済成長期の残り香が漂う高架ホームに立つ。

 

さて、モノレールに乗るからには行き先を決めねばなるまい。今回の目的地に選んだのは二箇所、「昭和島」駅と「整備場」駅だ。

こんな気分の時に人だらけの羽田空港へ行っても疲れるだけだし、実はそもそも、この二駅のことは前々から気になっていたのである。

個人的に、いわゆる「ローカル線」の長閑な風情とは違う、あの昭和のイケイケドンドンの時代に作られた鉄道の、独特の無機質で「コンクリートは正義!」な雰囲気が結構好きなのだ。武蔵野線北総線、そして東京モノレール。関西の湖西線も。分かってくださる方いらっしゃるかしら…。

そんな訳で、恐らく普通に暮らしていたら何も用事はなさそうで、小綺麗にリニューアルもされていることもなさそうな、この二駅へ向かってみることにした。

 

ホームには空港快速が止まっていたが、途中の小駅は皆すっ飛ばして空港へまっしぐらに向かってしまうので、見送って次の各駅停車に乗る。旅行客が大半を占める空港快速とは違い、沿線の会社や倉庫、あるいは空港で働く人達の足となっているようだ。

東京モノレールの車内は構造上やむを得ずデコボコしていて、そのデコの部分にうまいこと座席を貼り付けて着席スペースを確保しているのだが、空港快速はスーツケースの人ばかりだろうからこれは限りなく邪魔なスペースに違いない。が、少なくとも各駅停車はそんな心配も無用なようで、各々思い思いの場所にゆったりと腰掛けている。僕も車端部にある小さなボックス席に座ることができた。

 

浜松町を出発してカーブを抜けると、次の天王洲アイルに向けて悠然と加速していくのだが、これがなかなかの縦揺れとGである。お世辞にも乗り心地がいいとは言えず酔っ払って乗ったら間違いなくスプラッシュしてしまいそうだ。だが、遮るもののない高架線をビルの隙間を縫うように飛ばしていくのはなんとも爽快で、時折見える運河のきらめきや、新しいビルを建てている沢山のクレーン群が織りなす新鮮な都市の表情は、なかなか魅力的な風景である。最初の目的地、昭和島は一旦素通りして次の整備場駅の間で短いトンネルを抜けると、進行左手には東京湾の水辺の景色が広がる。短い間だが、眼前に広々と開けるおよそ都心とは思えない景色は、東京モノレール、ひいては都内の鉄道車窓の中でも白眉と言えるものであろう。

 

 

そんな海岸線を飛ぶように快調に飛ばしながら、モノレールは整備場駅に到着。

果たしてどんな駅なのだろうか。

 

続く

頭上のゆりかもめ

僕の職場は東京のいわゆるベイエリアにある、花屋さんだ。

花屋というと、子供の憧れる職業でも割と上位に来る、羨ましがられる職業だが、結局やっていることは農業の延長線上なので、皆が思うより仕事はずっとキツい。水の入ったバケツは見た目よりもずっと重く、これを洗うのは実に憂鬱な作業である。枯れ葉や折れた花があればすぐクレームになる。豊洲キッザニアには日比谷花壇があるらしいから、そのへんの現実も子供たちに理解させているのか?なんて穿った見方をしてしまう。

それでも、やはり喜ばれることは多いし、元々植物は好きだったから、いわゆる天職の類なのかもしれない。

 

ちなみに「世界に一つだけの花」という歌、あれが僕は大嫌いである。

なぜか。

まず、花屋の店先に並ぶ花というのはその辺の雑草ではない。種苗メーカーや育種家による鬼のような品種改良と選抜を経て、農家で手厚く育てられ、市場で競りを勝ち抜いた、いわば植物界のスーパーエリートである。

更に、ナマ物なので売れなければ即廃棄の運命が待っている。大体どの花屋でも三割くらいは廃棄になるらしい。

残酷だが、ナンバーワンにならなくてもいいどころか、ある意味人間社会よりもずっと厳しい世界なのである。

♫元々特別な、オンリーワ〜ン、なんて、甘っちょろい場所ではないのだ。

 

…なんてことを思いながら、バックヤードの外で、残念ながら戦いに破れてしまったオンリーワン達に心の中で詫びながら、彼らをゴミ箱へ詰めていく。

その頭上を飛ぶように、ゆりかもめの未来的な車両が悠々と駆けていく。

乗客はこれからお台場や豊洲へ向かう行楽客か、あるいはベイエリアに住む富裕層か。高架線の上をゆく乗客たちには、地面に這いつくばるようにして日々仕事に勤しむ我々のことなど見えもしない…と思う。ゆりかもめの、あの「ハレ」な空気はどうも苦手だ。

 

さて長くなってしまったが、そんなバックヤードには、このビルの店舗に向けて納品車がひっきりなしにやってくるのだが、その中に、軽バンでやってくる軽貨物のオジサンがいる。

明るく人懐っこいオジサンは近くにいる人に話しかけては、楽しそうに話している。僕もこのオジサンに会うのがちょっと楽しみになっていた。

 

「兄ちゃんよぉ、この間すごかったぜ、こんなデッケぇスイカ!!」

ある日、やたらニヤニヤしながら話しかけてきたオジサンに、荷物ですか?と尋ねると、

「馬鹿野郎、荷物の話なんかするかよ、コレだよコレ!!ガハハ!!」

と、胸の前でグルグル円を書くオジさま。

本当しょーもないオッサンだなぁ…と、しょーもないオッサンの自分を棚に上げて思うのだった。

 

しかしそんなオジサンの弱音を一度だけ、聞いたことがある。かつて事業に失敗して家を売り払い、軽貨物で食いつないでいると。

軽バンのナンバーは埼玉の町工場の集積地で知られるエリアだった。金属の焼ける匂いのする路地裏へ一人軽バンで物静かに帰っていくオジサンを勝手に想像してしまって、少し寂しい気持ちになってしまった。

 

それからしばらく経ったある日、オジサンの軽バンに、真面目そうな好青年といった風情の青年が一緒に乗ってきた。

仕事仲間かな?と思っていたら、こちらへと歩いてきた青年氏が一言、「いつも父がお世話になっております。」と。

 

それを見て「ガハハ、そいつは花屋だから関係ねえよ!」と笑う、オジサン。その笑顔は、優しい父親のそれだった。

なんだ、オジサン、あなたは立派な優しいお父さんだったんじゃないか。併設されているスーパーで二人買い物をしている姿には、穏やかな時が流れていた。

頭上を走るゆりかもめの乗客には、想像もつかないであろう足元のドラマ。その豊かな時間を、少なくとも僕だけは忘れないようにしようと心に誓った。

 

 

 

 

我が生涯は一片の悔いの集合体である

もう何年も前になるが、仕事でお世話になった方の葬儀に参列した。

僕は決して長いお付き合いではなく、ただその時お世話になっただけであったが、それでもその厳しくも優しい、暖かいお人柄はよく覚えている。もっと沢山お世話になりたかった、というのが正直な気持ちだった。

人望に厚い方らしい、沢山の参列者の涙と優しい笑顔に包まれた葬儀だった。

 

その時に奥様が語られていた、最期の言葉が僕は今でも忘れられない。

「もう自分の人生には何の悔いもないよ。なぁに、少し先に行くだけだから。」

そう言い残して、旅立たれたのだそうだ。

 

家族と音楽と仕事を愛して、生涯を全うされたその方らしい一言だった。

 

翻って我が平凡な人生をふりかえれば、まぁ取るに足らない些末な下らないことをああでもない、こうでもないとクヨクヨと悔やんでばかり。全く情けない限りだが、しかし最近そんな小さな悔い達が、少しずつ砂の中の雲母のようにきらきらと、愛おしく思えてきたのは、僕もオジサンの仲間入りをしたということだろうか。

 

いつか家族に、僕も同じ言葉を言えるように。

今はまだクヨクヨと、小さな毎日を振り返ってみたい。